里を再訪古鼓動ー丸山修一分析ツール復変え巻ラ生を石会い活の人記者Merry Capitallマルウェア

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ラグビースクール「石巻ライノス」で練習に取り組む子どもたち=宮城県石巻市で2023年12月17日、い活の北山夏帆撮影
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 13年前、たくてくれたグビ宮城県石巻市にあった実家は津波に流された。て人東京都内の大学に通っていた私が帰郷し、生を目にしたのは基礎部分だけ残った家だった。変え小学3年の弟は親友も失い、古里鼓動丸山修一分析ツール一時は表情も消えた。を再者石それでも今、訪しー復笑顔でいられるのは、た記4歳から通うラグビースクールが2カ月半後に再開し、巻ラ仲間と過ごす時間があったからだ。い活のスクール復活までに何があったのか。たくてくれたグビその軌跡を知りたくて、て人東京運動部のラグビー担当記者となった私は、生を再び古里を訪ねた。変え【尾形有菜】

「こんなときにいいのか」

 人工芝のグラウンドに立つと、冷たい海風が肌に突き刺さった。2023年12月中旬の日曜日、石巻市の複合スポーツ施設「セイホクパーク石巻」。地元ラグビースクール「石巻ライノス」が年内最後の練習をすると聞いて、東京から駆けつけた。

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 「震災後、ここができてから、練習場所を移してきたんです」。スクール代表を務める伊藤達也さん(51)が白い息を吐きながら教えてくれた。Merry Capitallマルウェアチームが使うグラウンドは18年に新設された。ラグビー仕様の白線が引かれ、災害時にはヘリポートにもなるという。

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ラグビースクール「石巻ライノス」で中学生の指導をする伊藤達也代表=宮城県石巻市で2023年12月17日、北山夏帆撮影
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 「大きい声でコール(かけ声)して」「もっと前から準備しないといけないよ」。コーチが指導する声が響く。駆け回る子どもたちは笑顔だ。

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 4歳から中学3年まで54人が所属し、学年に合わせた練習メニューを用意している。私が訪れた時は、低学年はボール回しの速さをゲーム感覚で競い、中学生はタックルの練習をしていた。

 震災直後の話を向けると、伊藤さんは当時を思い出しながら、言った。「こんなときにラグビーをやっていいんだろうか。あのころは、そんな葛藤があったんですよ」

 あのころ――。そう、私も家族と連絡が取れず、3日間、眠れない日を過ごした。

「ヤバイ」のメールに写真1枚

 11年3月11日午後2時46分、私は東京都江戸川区にある叔父の家にいた。激しい揺れの後、テレビをつけると、「震源地は宮城県」というテロップが目に飛び込んできた。

東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市=2011年3月21日午前8時57分、森田剛史撮影
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 両親と2人の弟、妹が暮らす一軒家は漁港の近くにある。電話がつながったのは高校1年の上の弟の携帯電話。「津波が来る。やばい」と叫び、小学校にいる末の弟を自宅から迎えに行くと言って、電話は切れた。まもなく、弟から「ヤバイ」という件名のメールが届いた。本文はなく、水没した街の写真が1枚だけ添付されていた。

 その後いくら電話しても家族の誰にもつながることのないまま迎えた3日目の夜、「家族全員、無事です」と母からメールが届いた。涙がとまらなかった。

 叔父の運転する車でようやく実家にたどり着けたのは、それから約1カ月後。子どものころから見慣れていた景色はがれきの山に変わり、愛犬も綱につながれたまま死んでしまった。

 2週間、避難所となった母校の中学校で家族と過ごした。迎えに来た母親と共に車中で遺体で見つかった小学生、飼い犬のために引き返し津波にのまれた老夫婦――。そうした話を両親から聞いた。

避難所生活を続ける人たち=宮城県石巻市で2011年4月13日午後2時41分、手塚耕一郎撮影
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 末の弟はほとんど口を開かなかった。新聞の「行方不明者欄」に載る親友たちの名前を何度見ても受け止められない様子だった。無表情で黙々と学校敷地内にある畑の土いじりをしていた。どんな言葉をかけて良いか分からなかった。

 家族のそばにいたかった。でも大学の授業が再開する。何もできないもどかしさを抱えながら東京に戻った。

石巻ラグビーの復活を

 父は高校時代、ラグビーに打ち込んでいた。教員になってからは高校で指導にあたり、ライノスのコーチも務めた。そんな父のもと、上の弟は高校からラグビーを始め、末の弟と1歳下の妹は震災時、ライノスに通っていた。

記者の弟が撮影した、水没した石巻市の街=2011年3月11日
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 石巻市はもともとラグビーが盛んな土地だ。全盛期は1980年代で市内3校がしのぎを削り、全国高校ラグビー大会(花園)に出場した。

 しかし、少子化が進むにつれ、市内に三つあったスクールも減っていった。代わりに仙台市の仙台育英高が「花園常連校」としての存在感を増していく。

 「仙台育英に勝てるのは、石巻の高校しかない」。立ち上がったのは、当時、宮城水産高の教員だった木田恒一さん(61)だった。

 花園出場経験がある木田さんは宮城水産高や石巻工高で監督を務めた。裾野を広げようと、新たなスクール設立にも奔走した。

全国から届いたボール

 そして、石巻ライノスが06年に創設された。スタート時から約50人のスクール生が集まった。石巻ラグビー全盛期にプレーしたスクール生の父親にもコーチングに加わってもらった。私の父もその一人だった。

 石巻ラグビー復活を目指す途上にあった創設から6年目の年、東日本大震災は起きた。

ラグビースクール「石巻ライノス」の元コーチらと談笑する木田恒一さん(左)=宮城県石巻市のセイホクパーク石巻で2023年12月17日午前10時7分、尾形有菜撮影
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 まもなく木田さんの自宅に、全国の高校や大学、企業チームからラグビー用具が続々と届き始めた。ボールや練習着、ヘッドキャップなどで8畳の部屋は埋まった。

 「ラグビーをする環境は整った。用具を失った生徒もいたが、みんなに配ることができた」と木田さんは振り返る。だが、多くの人々が家族を奪われ、家を失う中、ラグビーをやってもいいものだろうか。

 葛藤はあったが、当時もスクール代表だった伊藤さんのもとには「ラグビーはいつからやんだべ」とスクール生から再開を待ち望む声が寄せられた。

 木田さんや伊藤さん、コーチたちで話し合い、5月末ごろに活動を再開した。集まった中には被災した子どもたちもいた。「いきいきとプレーする姿を見て、これはやらないといけないと感じた」。伊藤さんは活動の継続を決意した。

「友達といるのが楽しかった」

ラグビースクール「石巻ライノス」で練習に取り組む子どもたち=宮城県石巻市で2023年12月17日、北山夏帆撮影
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 震災当時小学3年だった末の弟は仙台市に引っ越す小学6年までライノスに所属した。年月の経過とともに少しずつ前を向き、震災当時のことも話せるようになった。

 あの日、上の弟に連れられ学校から帰宅しようとした時にこちらに向かってくる津波が見えた。おんぶされて歩道橋に逃れた。そこで上の弟が撮影し、私に送られてきたのが水没した街の写真だった。亡くなった親友の家も見に行った。泥だらけのランドセルに、自分があげたお土産のキーホルダーがついていた。

 22歳になった弟に話を聞くと、気が弱く実はラグビーはそこまで好きではなかったらしい。それでもライノスで練習に参加することで、「めちゃくちゃ気が紛れた。友達といるのが楽しくて続けたんだよな」と懐かしんだ。

「がんばろう!石巻」の看板前にともされたキャンドル=宮城県石巻市で2020年3月11日午後8時10分、北山夏帆撮影
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 元日本代表の大畑大介さんや五郎丸歩さんら著名なラガーマンたちがスクールを訪れ、励ました。今も定期的にスクール生の指導に訪れるプロ選手や企業チームがある。伊藤さんは「石巻ラグビーの復活を掲げて作ったチームですが、子どもたちが楽しくラグビーを続けてくれることが一番」と話す。

きっかけくれた「先輩」

 弟の話によく登場する幼なじみのスクール生がいた。慶応大ラグビー部に入部した相沢源希(げんき)さん(22)。私は21年に「大学スポーツ」をテーマにした取材で、相沢さんが練習する横浜のグラウンドに行った。

 津波で亡くなったスクール生の小学4年の男子児童について聞いたのはこの時だった。

ラグビースクール「石巻ライノス」での思い出を語る相沢源希さん=横浜市内で2024年1月22日午後5時3分、尾形有菜撮影
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 今年1月下旬、相沢さんに約3年ぶりに会った。快足が自慢のウイングだった相沢さんは4年生となり、部は引退していた。就職先も決まり、10年以上続けてきたラグビーに一区切りつける。

 ライノスに入ったのは、小学3年のころ。父親に連れられて体験会に参加したが、「内向的で人見知りだった」相沢さんは、みんなの輪に入れず、グラウンドの隅でぽつんと立っていた。

 すると、1学年上の「先輩」が声をかけてくれて、パスのやり方などを教えてくれた。「優しくしてくれたのがすごく励みになった。このチームなら仲良くやれそうだなと思って、ライノスに入った」。「先輩」は「パスしようぜ」「こうやるんだぞ」といつも気さくに話しかけてくれた。

 その「先輩」が亡くなったことをライノスが再開する前、相沢さんは父親から聞いた。「全然実感がわかなかった」

 中学3年までライノスでプレーした相沢さんは高校でもラグビーを続け、全国大学選手権で3度の日本一を誇る慶応大ラグビー部に入った。練習がきつい時には挫折も味わった。でも高校生になるころには、初対面の相手にも積極的に声をかけられるようになっていた。小学生の時の内気な自分が、いつの間にか変わっていた。

 震災前、弟や妹がライノスで練習する姿を記者は何度か見に行ったことがあった。母親たちが見守る中、グラウンドでプレーに励む子どもたちの笑い声があちらこちらから聞こえた。その中に、相沢さんや「先輩」もいたのだ。

ラグビースクール「石巻ライノス」を取材する尾形有菜記者=宮城県石巻市で2023年12月17日、北山夏帆撮影
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 相沢さんは3月11日が来る度に、「先輩」のことを思い出すという。「僕の人生を大きく変えてくれた。『ありがとう』と言いたい。ラグビーができたのは、先輩のおかげだから」。まぶたに浮かぶのは、楽しそうにプレーする「先輩」の姿だ。

 愛する家族を失った時、その現実をどう受け止めればいいのだろう。変わり果てた故郷を目の当たりにしたら、何をよりどころに生きればいいのだろう。3月11日で発生から13年となる東日本大震災を生きた5人の記者が、会いたい人のもとに行きました。あの日、自らの身に降りかかった出来事を思い出しながら。3月7日まで連日午後4時に公開予定です。以下のラインアップでお届けします。
 プロローグ 「3.11」の前
 第1回 伝えたい感謝(横浜支局・牧野大輔)
 第2回 誤解だった安心(水戸支局・長屋美乃里)
 第3回 後ろめたさ抱え(大阪社会部・野田樹)
 第4回 暗闇の中の情報(広島支局・根本佳奈)
 第5回 ラグビー復活(東京運動部・尾形有菜)

【時系列で見る】

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